神話の国出雲 斐伊川 荒神谷遺跡
こちらのブログは「各地の見所」と、それにまつわる「感動の句」をご紹介するサイトです。
しかしながらここのところずっと更新ができておらず、閑古鳥の鳴く、北風吹きすさぶサイトと化しております(^^;)
ところが「グルメと感動のダジャレ川柳」のサイト↓の方の、同一地域に記事が多すぎて、混乱したジョータイですので、一部こちらに掲載することにしました(^^;)
グルメジャンル「もみじの細道」http://hosomichi.blog.so-net.ne.jp/
ということで、柴犬モモとひっち俳句ー(はいかー)momijiの二人旅、両サイトともごひいきにm(__)m
モモ:なーmomiji、最近「もみじの細道」のコメントやご意見が多いんじゃない?
momiji:ありがたいことにそーなんじゃよ、最近もな「出雲地方」の記事を書いたんじゃが、話題が多すぎてなあ。整理のために一部こちらに載せてリンクすることにしたんじゃ。
語り手:ということで、今回も出雲地方の2つのお話を同時に進める二人なのでありました。例によって長文の気配が・・・(^^;)
今回の記事で訪ねたのは、赤い丸印の「斐伊川(ひいかわ)」と青四角の「荒神谷(こうじんだに)遺跡」です。両方とも神話の古里のような場所でした。
まず斐伊川ですが・・・
松江から出雲に西進する国道9号線、斐伊川にかかる「神立橋」を、下流の「宍道湖(しんじこ)」方面に数キロ下ると、「斐伊川河川敷公園」があります。
ここは広大な土地が運動場や芝生広場として整備されています。
その一角にも神話にまつわる場所はありました。
膳夫(かしわで)神社蹟ですね。祭神は「櫛八王神(くしやたまのかみ)」です。
神話では、日本海に面した「稲佐の浜」で行われた「国譲り」、その時に高天原から談判に来た「建御雷神(たけみかづち)」の神を料理接待したのが、地神である「大国主命(おおくにぬしのみこと)」側である「くしやたまのかみ」でした。
*一説によると、「国譲り」というのは大和朝廷が地元権力者に権力の委譲を迫ったものだそうです(^^;)
8月の中旬、暑いさなかに「キョウチクトウ」が綺麗に咲いていました。
その「夾竹桃」並木を斐伊川へと進んで行きます。
あたりはくずの葉が生い茂り、
ところどころに桑の木があります。奥出雲の方から川の流れに運ばれてきたんでしょうか。
昔は生糸の生産のために蚕を飼う地域でもあったのですね。
斐伊川の岸辺は葦に覆われています。
葦原にひっそり咲く可憐な花もありました。
斐伊川は全国でもめずらしい「砂河川(すなかせん)」です。
ですから護岸はこのように石を網袋に入れて積み上げられています。さていよいよ橋を渡ります。
これは?・・・いわゆる欄干の無い「沈下橋」ではないでしょうか。四国の四万十川や仁淀川で見られる。
やはりそうでしょうね、橋の上や鋼管に砂がこびり付いていました。
ということはこの川も増水し氾濫を繰り返してきた歴史があるかも知れません。
愛知県の「矢作(やはぎ)川」も「砂河川」で、川原に石などなく砂ばっかり目立ちます。両方とも元は川底より周りの土地が低い、いわゆる「天井川(てんじょうがわ)」でした。現在は堤防や砂の浚渫で流れは安定していますが、氾濫や流路の変化を繰り返してきた歴史は同じです。
砂河川の原因のひとつは上流の花崗岩層にありそうです。「三河山地」も「出雲山地」も古くもろい花崗岩です。
さらに斐伊川の場合は、昔から砂鉄の産地であり「たたら製鉄」がさかんでした。この「たたら吹き」という土砂を水に溶かして鉄を沈殿させる製法のため、土砂を切り崩してきたのです。
後に掲載します「荒神谷遺跡」もそうした製鉄技術と無縁ではありません。
川の中央部の砂地には、子供達や釣り人でしょうか、足跡がたくさん残っています。
またショベルカーでしょうか、キャタピラーの痕も残っていました。
普段の斐伊川は水量は少なく、サラサラ流れるせせらぎのようにのどかです。
深いところでも50cmから1mくらいで、透明度も高いのですが・・・
この氾濫を繰り返した斐伊川には「やまたのおろち」神話が残っています。「古事記」には、「高天原(たかまがはら)」を追放になった「(すさのおのみこと)」が肥川に降り立つと箸が流れてきた。奥出雲に老夫婦を訪ねると、7人の娘を8つの頭と尾を持つ大蛇に食われてしまった。8人目の美しい娘「櫛名田比売(くしなだひめ)」も食われてしまうと泣いていた。
用意した強い酒の桶を飲んで酔った大蛇を、須佐之男命が切り刻み、尾から出た大太刀を「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」といった。この草薙の大刀は駿河を経由して熱田神宮に祭られた。
静岡にある「草薙球場」はここから来ているのでしょうか(^^)
この沈下橋も部分的に補修がなされているのでしょう。普段はおとなしい川が暴れることが多かったのでしょうね。
川の中央部でその象徴のような、「やまたのおろち」を見つけてしまいました!・・・
いかがでしょうか「やまたのおろち」、ワタクシにはその片鱗に見えてきましたが(^^;)
川を渡って堤防に上ってみました。
増水時には通行止めになるのでしょう。
高い堤防から下流側を望むと、何事もないかのようにしっとりと田園風景が広がっています。
上流方向は奥出雲方面です。斐伊川のお話は一端ここまでにしときましょう。
次にこの上流方面にある、やはり神話に満ちた奇跡の現場「荒神谷遺跡」を訪ねてみましょうか。
モモ:えー同じ日にもうひとつ記事書いちゃうのー?すごーい!
momiji:そうじゃよ、なんせ訪問履歴や写真が溜まりすぎて困っとるからのう。
語り手:皆さんからの要望といいながら、自分勝手な理由で記事を追加する二人であった・・・
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