ぞく神話の国出雲 斐伊川 荒神谷遺跡
先ほど神話の国出雲 斐伊川 荒神谷遺跡の記事を投稿したばかりですが(^^;)
続きの記事として神話の奇跡の現場「荒神谷(こうじんだに)遺跡」を訪ねる旅です。
今回の荒神谷は青四角、先ほどの記事の斐伊川は赤丸の位置関係になります。
ついでに言いますと西方向に、緑丸が「出雲ドーム」、緑四角は「出雲大社」、青丸は「稲佐の浜」、赤四角は「日御碕燈台」です。南に行くと黄丸は「三瓶山」、黄四角は「奥出雲町」、北東は安来市です。
荒神谷遺跡へは、国道9号線の斐川町荘原あたりから南下します。または山陰道斐川インターからは近くです。
荒神谷史跡公園の全景です。今回は南駐車場から向かいます。
歩いてすぐ、ウッドデッキの向こうに「西谷池」が見えてきます。
池の側面に遊歩道が整備されています。
数分も歩いたでしょうか・・・
広場の一角に水田がありました。(6月でした)
これは「赤米(あかまい)」と言って、古代米の一種を再栽培して古代農耕地を再現しているのですね。
すぐとなりは一面の蓮池でした。
こんなところでレンコンの収穫でも?と思っていましたら・・・
「2000年ハス」といって、少し前に千葉県検見川で大賀一郎博士が見つけた古代ハスの種、それを栽培して大田市にも寄贈、さらに出雲市が貰い受けたようです。一説には3000年前とも言われ、古代の土地にお似合いかもしれません。
さて、なぜ荒神谷遺跡を「神話の奇跡の現場」と言ったかですが、ここで1984年に大発見がありました。農道調査で偶然発見されたのは、銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個でした。この3種類が同じ場所で、しかもこれだけたくさん発見された例はかつてなかったからです。
神話の国出雲において、それを裏付けるだけの文化や経済圏や権力があったという具体例です。
「荒神谷博物館」には歴史や風土、出土品にまつわるたくさんの展示がなされていました。
まとまって埋められていたのですね。
銅剣(いずれもレプリカ)は50cm、500gほどです。元は2200年前に中国や朝鮮半島から武器として渡来しました。
鋳型のままのものもあったため、多くは地元産であろうと言われています。
銅矛は70~80cm、弥生時代の青銅器で、北部九州産であろうと言われています。銅鐸は元は家畜の首に下げる鈴であり、中に棒を下げて音を鳴らしたようです。カウベルみたいですね(^^)
新品の色は黄金色だったようで、銅に錫や鉛を混ぜたようです。当時これらは武器や家畜用ではなく、祭祀の道具、神を呼んだり悪霊を払うための「武器型祭器」だったようです。
さてこれらが発掘された現場がありました。
古代ハス池の山手になります。
小高い山の谷というより窪みにそれはありました。
発掘現場のようすがカンバンにありました。
下から見上げると、こんな斜面の中腹です。
正面まで上がると全景が見えます。左右20m、上下15mほどでしょうか。地中30cmに埋められていたそうです。
現在実際の銅剣、銅矛、銅鐸は出雲大社のそば、「島根県立出雲歴史博物館」に所蔵され、国宝として厳重に管理されています。
誰が何のために、これだけ大量の祭器を、こんな山中に埋めたのでしょうか。いずれにしても神話の国出雲が、歴史が古く強大な勢力を誇ったことの証と言えるのではないでしょうか。
モモ:へーえ、出雲ってお話の世界だけ歴史があるんじゃなくって、実際にそれだけのお金や力もあったんだねー。
momiji:う、うんまあな、確かに経済力があったから大きな祭りができたんじゃろうからなあ。
語り手:ということで、出雲の見所を2つの記事でご紹介しましたが、別ブログ「もみじの細道」では、同じく出雲地方の「日御碕と白亜の燈台」ともご紹介しちゃってます。そちらもどぞ(^^;)
このブログを訪問頂いてる皆さんこんにちは!
そして2014年お正月おめでとうございます。
只今開店休業状態にありますが、また近く新装開店の予定です(^^;)
またおいおいごひいきにおたのん申します(^^)
by momiji (2014-01-07 00:23)