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ぞく神話の国出雲 斐伊川 荒神谷遺跡

先ほど神話の国出雲 斐伊川 荒神谷遺跡の記事を投稿したばかりですが(^^;)

続きの記事として神話の奇跡の現場「荒神谷(こうじんだに)遺跡」を訪ねる旅です。

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今回の荒神谷は青四角、先ほどの記事の斐伊川は赤丸の位置関係になります。

ついでに言いますと西方向に、緑丸が「出雲ドーム」、緑四角は「出雲大社」、青丸は「稲佐の浜」、赤四角は「日御碕燈台」です。南に行くと黄丸は「三瓶山」、黄四角は「奥出雲町」、北東は安来市です。

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荒神谷遺跡へは、国道9号線の斐川町荘原あたりから南下します。または山陰道斐川インターからは近くです。

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荒神谷史跡公園の全景です。今回は南駐車場から向かいます。

 

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歩いてすぐ、ウッドデッキの向こうに「西谷池」が見えてきます。

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池の側面に遊歩道が整備されています。

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数分も歩いたでしょうか・・・

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広場の一角に水田がありました。(6月でした)

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これは「赤米(あかまい)」と言って、古代米の一種を再栽培して古代農耕地を再現しているのですね。

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すぐとなりは一面の蓮池でした。

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こんなところでレンコンの収穫でも?と思っていましたら・・・

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「2000年ハス」といって、少し前に千葉県検見川で大賀一郎博士が見つけた古代ハスの種、それを栽培して大田市にも寄贈、さらに出雲市が貰い受けたようです。一説には3000年前とも言われ、古代の土地にお似合いかもしれません。

さて、なぜ荒神谷遺跡を「神話の奇跡の現場」と言ったかですが、ここで1984年に大発見がありました。農道調査で偶然発見されたのは、銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個でした。この3種類が同じ場所で、しかもこれだけたくさん発見された例はかつてなかったからです。

神話の国出雲において、それを裏付けるだけの文化や経済圏や権力があったという具体例です。

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「荒神谷博物館」には歴史や風土、出土品にまつわるたくさんの展示がなされていました。

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まとまって埋められていたのですね。

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銅剣(いずれもレプリカ)は50cm、500gほどです。元は2200年前に中国や朝鮮半島から武器として渡来しました。

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鋳型のままのものもあったため、多くは地元産であろうと言われています。

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銅矛は70~80cm、弥生時代の青銅器で、北部九州産であろうと言われています。銅鐸は元は家畜の首に下げる鈴であり、中に棒を下げて音を鳴らしたようです。カウベルみたいですね(^^)

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新品の色は黄金色だったようで、銅に錫や鉛を混ぜたようです。当時これらは武器や家畜用ではなく、祭祀の道具、神を呼んだり悪霊を払うための「武器型祭器」だったようです。

さてこれらが発掘された現場がありました。

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古代ハス池の山手になります。

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小高い山の谷というより窪みにそれはありました。

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発掘現場のようすがカンバンにありました。

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下から見上げると、こんな斜面の中腹です。

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正面まで上がると全景が見えます。左右20m、上下15mほどでしょうか。地中30cmに埋められていたそうです。

現在実際の銅剣、銅矛、銅鐸は出雲大社のそば、「島根県立出雲歴史博物館」に所蔵され、国宝として厳重に管理されています。 

誰が何のために、これだけ大量の祭器を、こんな山中に埋めたのでしょうか。いずれにしても神話の国出雲が、歴史が古く強大な勢力を誇ったことの証と言えるのではないでしょうか。

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モモ:へーえ、出雲ってお話の世界だけ歴史があるんじゃなくって、実際にそれだけのお金や力もあったんだねー。

momiji:う、うんまあな、確かに経済力があったから大きな祭りができたんじゃろうからなあ。

語り手:ということで、出雲の見所を2つの記事でご紹介しましたが、別ブログ「もみじの細道」では、同じく出雲地方の「日御碕と白亜の燈台」ともご紹介しちゃってます。そちらもどぞ(^^;)

 


神話の国出雲 斐伊川 荒神谷遺跡

こちらのブログは「各地の見所」と、それにまつわる「感動の句」をご紹介するサイトです。

しかしながらここのところずっと更新ができておらず、閑古鳥の鳴く、北風吹きすさぶサイトと化しております(^^;)

ところが「グルメと感動のダジャレ川柳」のサイト↓の方の、同一地域に記事が多すぎて、混乱したジョータイですので、一部こちらに掲載することにしました(^^;)

   グルメジャンル「もみじの細道」http://hosomichi.blog.so-net.ne.jp/

ということで、柴犬モモとひっち俳句ー(はいかー)momijiの二人旅、両サイトともごひいきにm(__)m

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モモ:なーmomiji、最近「もみじの細道」のコメントやご意見が多いんじゃない?

momiji:ありがたいことにそーなんじゃよ、最近もな「出雲地方」の記事を書いたんじゃが、話題が多すぎてなあ。整理のために一部こちらに載せてリンクすることにしたんじゃ。

語り手:ということで、今回も出雲地方の2つのお話を同時に進める二人なのでありました。例によって長文の気配が・・・(^^;)

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今回の記事で訪ねたのは、赤い丸印の「斐伊川(ひいかわ)」と青四角の「荒神谷(こうじんだに)遺跡」です。両方とも神話の古里のような場所でした。

まず斐伊川ですが・・・

松江から出雲に西進する国道9号線、斐伊川にかかる「神立橋」を、下流の「宍道湖(しんじこ)」方面に数キロ下ると、「斐伊川河川敷公園」があります。

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ここは広大な土地が運動場や芝生広場として整備されています。

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その一角にも神話にまつわる場所はありました。

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膳夫(かしわで)神社蹟ですね。祭神は「櫛八王神(くしやたまのかみ)」です。

神話では、日本海に面した「稲佐の浜」で行われた「国譲り」、その時に高天原から談判に来た「建御雷神(たけみかづち)」の神を料理接待したのが、地神である「大国主命(おおくにぬしのみこと)」側である「くしやたまのかみ」でした。

*一説によると、「国譲り」というのは大和朝廷が地元権力者に権力の委譲を迫ったものだそうです(^^;)

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8月の中旬、暑いさなかに「キョウチクトウ」が綺麗に咲いていました。

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その「夾竹桃」並木を斐伊川へと進んで行きます。

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あたりはくずの葉が生い茂り、

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ところどころに桑の木があります。奥出雲の方から川の流れに運ばれてきたんでしょうか。

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昔は生糸の生産のために蚕を飼う地域でもあったのですね。

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斐伊川の岸辺は葦に覆われています。

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葦原にひっそり咲く可憐な花もありました。

斐伊川は全国でもめずらしい「砂河川(すなかせん)」です。

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ですから護岸はこのように石を網袋に入れて積み上げられています。さていよいよ橋を渡ります。

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これは?・・・いわゆる欄干の無い「沈下橋」ではないでしょうか。四国の四万十川や仁淀川で見られる。

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やはりそうでしょうね、橋の上や鋼管に砂がこびり付いていました。

ということはこの川も増水し氾濫を繰り返してきた歴史があるかも知れません。

愛知県の「矢作(やはぎ)川」も「砂河川」で、川原に石などなく砂ばっかり目立ちます。両方とも元は川底より周りの土地が低い、いわゆる「天井川(てんじょうがわ)」でした。現在は堤防や砂の浚渫で流れは安定していますが、氾濫や流路の変化を繰り返してきた歴史は同じです。

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砂河川の原因のひとつは上流の花崗岩層にありそうです。「三河山地」も「出雲山地」も古くもろい花崗岩です。

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さらに斐伊川の場合は、昔から砂鉄の産地であり「たたら製鉄」がさかんでした。この「たたら吹き」という土砂を水に溶かして鉄を沈殿させる製法のため、土砂を切り崩してきたのです。

後に掲載します「荒神谷遺跡」もそうした製鉄技術と無縁ではありません。

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川の中央部の砂地には、子供達や釣り人でしょうか、足跡がたくさん残っています。

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またショベルカーでしょうか、キャタピラーの痕も残っていました。

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普段の斐伊川は水量は少なく、サラサラ流れるせせらぎのようにのどかです。

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深いところでも50cmから1mくらいで、透明度も高いのですが・・・

この氾濫を繰り返した斐伊川には「やまたのおろち」神話が残っています。「古事記」には、「高天原(たかまがはら)」を追放になった「(すさのおのみこと)」が肥川に降り立つと箸が流れてきた。奥出雲に老夫婦を訪ねると、7人の娘を8つの頭と尾を持つ大蛇に食われてしまった。8人目の美しい娘「櫛名田比売(くしなだひめ)」も食われてしまうと泣いていた。

用意した強い酒の桶を飲んで酔った大蛇を、須佐之男命が切り刻み、尾から出た大太刀を「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」といった。この草薙の大刀は駿河を経由して熱田神宮に祭られた。

静岡にある「草薙球場」はここから来ているのでしょうか(^^)

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この沈下橋も部分的に補修がなされているのでしょう。普段はおとなしい川が暴れることが多かったのでしょうね。

川の中央部でその象徴のような、「やまたのおろち」を見つけてしまいました!・・・

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いかがでしょうか「やまたのおろち」、ワタクシにはその片鱗に見えてきましたが(^^;)

川を渡って堤防に上ってみました。

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増水時には通行止めになるのでしょう。

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高い堤防から下流側を望むと、何事もないかのようにしっとりと田園風景が広がっています。

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上流方向は奥出雲方面です。斐伊川のお話は一端ここまでにしときましょう。

次にこの上流方面にある、やはり神話に満ちた奇跡の現場「荒神谷遺跡」を訪ねてみましょうか。

モモ:えー同じ日にもうひとつ記事書いちゃうのー?すごーい!

momiji:そうじゃよ、なんせ訪問履歴や写真が溜まりすぎて困っとるからのう。

語り手:皆さんからの要望といいながら、自分勝手な理由で記事を追加する二人であった・・・

 

 


久留米百年公園 つつじまつり 八女茶あめ

福岡県南部の中心都市、久留米市に行きました。といっても観光じゃなく仕事でセミナーなんですが(^^;) 会場の周りは広々とした「百年公園」、市民の憩いの場として整備されています。

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今回はお花いっぱいいっぱいの写真です(携帯カメラ画像で恐縮ですが)。従っていつも通り超長文ですみません。お急ぎの方、迂回しちゃって下さい(^^;)

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久留米市の花「つつじ」がちょうど咲き乱れていました。あったかポカポカいい陽気です。

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この公園は1989年に、久留米市制100周年を記念して整備されたんですね、それで「100年公園」っていうんだ。

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つつじがキレイだったので写真を撮ろうとしたら、向こうからおっちゃんが走ってきました。「あーごめん、私も写っちゃったですかー!」 「あーいやワタシの方なら構いませんけど・・・(^^)」

すぐそばの広場では恒例らしいイベントをやっていました。

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55回目になる「つつじまつり」なんですね。

この筑後地方は、九州の中でも農業や果樹産業、植木庭園産業が盛んです。

今の時期はつつじを始めとした花や庭木の真っ盛りのシーズンなんです。それでこうした市が開かれるんですね。こりゃ季節の物がいろいろ見られそうで楽しみです。

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まずは庭木つつじですよね。

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鉢植えつつじもあります。

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いろんな種類の花がたくさん集まっていますが、ちょうど今がシーズンなんですね。

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大輪の牡丹(ぼたん)ですよね。ピンクのいい感じの色です。右の強烈な赤はインパクトありますよー。

大輪つながりで言えばこれ。

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クレマチスですが、これもいろんな色があるんですね。

広い会場にはもちろん花や樹木だけではありません。お客様が多いので、色んな出店も出てるんですね(^^)

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熊本からは「手打ち刃物」だそうです。鹿児島の黒砂糖のお店もありました。

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やきとり、たこ焼きは定番ですが、福岡の大宰府天満宮で有名な「梅が枝餅(うめがえもち)」も出ていましたよ。

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あまりに天気がいいからってソーラーパネルはどーなんでしょ・・・(^^;)

やはりこのシーズンのお花の王様といえばこれ・・・

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バラですよね、いろんな色や種類やネーミングがあります。

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左はブルームーン、右はクイーンエリザベスですって(^^) 

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映画のタイトルか俳優の名前みたいじゃないですか、左がヘンリーフォンダ、右がゴールドハニー。

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ワタラセなんて和名の川の名前みたいのもあるんですね。

実ものも色々ありました。かんきつ系が多かったですけどね。

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左はキンカン、右がご存知サクランボですね。

百花繚乱っていうのはこんなことを言うんでしょうね、いろんな色にあふれています。

色つながりで言うと・・・

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カラ―ですね(^^;)

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カラ―って白いイメージでしたが、黄色もピンクもあるんですねえ。

散歩に連れてこられたワンちゃんたちも目移りしたんじゃないでしょうか。

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ワンちゃんつながりでいえば・・・

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これは「ホクシャ」だそうです。 

まるで「かぁしゃん」さんのぼく、柴わんこ!の「ホクトくん」の愛称「ホクシャン」みたいです(^^;)

その他にも覚え切れないくらいありました。

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これはガーベラですね。右は定番ダリアです。どちらも端正なお花です。

端正つながりでいえばシャンとした木に咲く花ですね。

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左はシャクナゲ、尺が長いからでしょうか(^^)、右は庭木で人気の白いハナミズキですね。

白いつながりで言えば、紅白のくっきりしためずらしい花がありました。

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ゲンペイボク(源平木?)です。源氏軍が白、平家軍が赤なのでしょうか。

ワタシが一番気にいった花は次の2つですが、名前がわかりませんでした。

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左のピンクのカワーイらしい花弁が魅力じゃないですか。右は「〇柳梅」と書いてありましたが、読めません。強弱のピンクのグラデーションで小さくカワイイ花です。 

たくさんたくさんご紹介してきましたが、こんな風流なお花はいかがでしょうか?

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小品盆栽だそうです。デリケートなんでしょうね、ビニール室内に展示されています。

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小さく咲かせているのは全部つつじの種類ですよ。手塩にかけられたんでしょうねえ。

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かれこれ1時間以上も鑑賞して撮影して回ったので、お茶にしました。 (・・・なんとかして旅行ジャンルからグルメジャンルに持ってかなきゃ・・・) 九州でお茶と言えば有名な産地があります。久留米のすぐとなり八女(やめ)市です。

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八女茶を売っていたので頂きました。とても香りが高く上品な若草色、まろやかな甘みとほんのり苦みが特徴です。

そしてですね、八女茶を使った「八女茶あめ」買っちゃいました300円。

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抹茶の香りが広がっておだやかな甘さ、周りは硬いですが中は意外とサクサクのあめでした(^^) 若い人にもOK!

入ってそうですね、いかにもカテキンとポリフェノール! 高脂血のワタクシにはピッタリかも・・・(^^;)

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ということで、みごとになんとか「グルメ」にも言及できたところで、「もみじの細道」流ダジャレ川柳を一句。(モモ:いつも長過ぎんだよお、momijiの記事わあ)

    久留米にて グルメ出来なきゃ 八女茶いな (モモ:なんか怪しいなー)

解説:久留米では旅行だけじゃなく、グルメにも言及出来ない貧想なら、書くの止めちゃいなってか

モモ:そうそう、自分で少しはツツジ見なさい!


広島ビッグアーチ 織田陸上 オリンピック選考会

 ゴールデンウィークは旅行シーズンですので、私momijiのメインブログも旅行ジャンルの、人気の無い別ブログ「ひっち俳句の細道」に切り替えてます(^^;) グルメジャンル「もみじの細道」にもよろしく(^^)

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初めて行ってきました。連休の前半の4月29日、「第46回織田幹雄記念国際陸上競技大会」です。

陸上観戦がこんなに面白いとは思いませんでした。 いつも通りの超・長文ですみません(^^;)

さてさて、「おだ」っていうとこの方・・・・・

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こりゃ違うでしょ・・・うちのカミサンが追っかけしてる人でしょ(^^;)

「みきお」と言えばもちろんこの方・・・

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じゃないでしょ!それはお笑い道を追っかけてる方でしょ。

~シツレイながらネットから写真お借りしましたm(--)m~

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カッコイー! 「織田幹雄」さんとは実はこんなに立派な方だったんです(^^)

出身地:広島県安芸郡海田町(1998年93歳没)
日本人初のオリンピック金メダリスト。アジア人としても個人初のオリンピック金メダリスト。
1922年旧制広島一中(現・広島県立広島国泰寺高等学校)徒歩部時代、全国中等学校陸上競技大会の走高跳と走幅跳で優勝。
早稲田大学競走部で活躍。当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」と呼ばれた競技名を自ら「三段跳」(現在はトリプルジャンプ)と訳した。1928年のアムステルダムオリンピックで、15m21cmを記録し日本人初の金メダルを獲得した。1931年早稲田大学を卒業し朝日新聞社に入社し、同年に当時の三段跳の世界記録15m58cmを樹立した。

日本人初の金メダルだったんですね。その偉業を称えて創設されたのが、毎年4月末に広島で行われるこの大会なんです。

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通称「広島ビッグアーチ」は、広島広域公園陸上競技場と言います。サッカー「サンフレッチェ広島」のホームグラウンドとしてご存知の方も多いでしょう。メインスタンドを覆うアーチ状の屋根は原爆ドームを模したと言われています。

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1994年のアジア競技大会、1996年の第51回国民体育大会(ひろしま国体)の主会場として、1992年9月に建設されました。

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正面の入り口の両側には「UN・A」ウナという空想の聖獣が鎮座し、その肩には天使がちょこっと乗っかっています。

イタリア語で「ひとつ」を意味する「una」は、「すべてをひとつに融合する」という意味があるそうです。人類も平和も1つに融合するという広島の理想を掲げたのかも知れません。

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46回を数えるこの大会ですが、今回は特別な意味があります。それはロンドンオリンピック代表選考会を兼ねていることです。

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多くの著名選手が大挙して出場し、夢の舞台への闘いを繰り広げます。「グランプリ種目」では女子100mの福島千里さん、100m障害の木村文子さん、800mの久保瑠里子さん、円盤投げの室伏由佳さんなどです。

男子では100mで地元の期待の高い山縣亮太さん、江里口匡史さん、やり投げでは村上幸史さん、ディーン元気さんなどです。

「一般種目」でも男子5000mのチャールズ・ディランゴさん、ジョセフ・ギタウさん、岡本直己さん、大森輝和さん、松宮隆行さんら実業団のトップランナー。女子5000mでは絹川愛さん、渋井陽子さん、ワイナイナ・ムルギさんらです。

5万人を収容できるスタンドの正面には横断幕と、ポールには旗が掲揚されています。

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このポールの長さが15.21m、そうです織田幹雄さんのオリンピック金メダルの記録を称えています。

朝10時過ぎには会場入りしましたが、メインスタンドにはすでに多くの観客が詰め掛けていました。

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NHKテレビでも実況放送されたようです。

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ゴール付近には多くの報道やカメラマンが待ち構えています。

競技場のあちこちのコーナーを利用して競技が進められて行きます。

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走り幅跳びや三段跳びには会場から手拍子が起こります(^^)

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棒高跳びは間近で見ると迫力があります。

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タイミングや技術や精神力がすべて一致しないと、いい記録にならないんですね、ムズカシー。 

やり投げも勢いや高さや向きや回転など、様々な要素で描く円弧は面白いです。ディーン元気さんらの頑張ってた写真は撮り忘れちゃいました(^^;)

芝生を広く使った投てきは円盤投げです。

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これも近くで見ると迫力というか、競技者の熱さ、歓声がほとばしります。

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写真の右上、灰色の屋根のふちに白い円盤がやっと撮れました(^^;)

女子で優勝した室伏由佳さんです。

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この方はご存知室伏広治さんの妹さんです。

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優勝記録は53m51cmと立派な記録でした。円盤投げとハンマー投げの日本記録を持つ方です。優しい方ですね、最後までファンサービスを忘れません。しかし残念なことに、腰痛のため日本選手権を最後に引退か?という記事がありました。

やはり何と言っても花形は短距離ですね(^^)

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男子110mハードルも迫力があり、リズミカルな音が良いです。

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女子では100mハードルで見事に地元の木村文子さんが歴代3位の13秒04で制しました。五輪参加標準記録B(13秒15)も上回ったんですね。

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この方可愛らしい方で笑顔がいいんです(^^:)

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100mはさらに息さえつけないような迫力があります。

予想通りというか期待に応えて、地元出身の山縣亮太さんがやってくれました! ビュンビュン走るわ走るわ!と思っていたら予選ながら日本歴代5位の10秒08を出しました。スゴイですうう!

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さらに決勝でもA標準を突破する10秒16で快勝しました。オメデトウ!(風などコンディションが影響するんですね) もちろん五輪参加標準記録A(10秒18)を突破しています。

大瀬戸一馬さん(小倉東高)が10秒23とB標準を破り、18年ぶりの高校新記録も成し遂げたのもスゴイです、将来期待!

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男子がそうなら女子のあの人・・・そうです、福島千里さんどーなったん?

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やはり強いですねえ、11秒34で優勝されましたよお!

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会見ではいつものように抑揚ない、タンタンとしたな語り口調で先を見据えていました。ゴリッパです! 

また11秒50の日本高校新をマークした土井杏南さん(埼玉栄高)が3位に入ったのもスゴイです、将来期待!

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夕方近くになってきました。コンディションはこんな感じです。

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さていよいよメインイベントです!!・・・って何が?

そうです、ワタクシの姪が登場するんです! って言ってもオリンピック候補じゃないんです(^^;)

「ジュニア種目」では中国5県の中学、高校の選抜チームの距離別決勝が行われます。ちなみに姪は広島市の中学校の400mリレーに出場しました。

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詳しくは言いませんが成績は良かったんですよ・・・アー良かったホッと一安心(^^;)

初めて陸上競技の本格的な大会に参加して、その面白さというか感動や期待感を手に取るように実感できました。こりゃ陸上競技の観戦にはまるかも・・・ 

こうして青空の下で伸び伸びとスポーツで戦うことの素晴らしさを、ありがたいことだと思えますよね。若者が鉄砲を持って戦った戦争や原爆で犠牲になった方々、織田幹雄さんらスポーツの先駆者の労苦のおかげだと感謝しなきゃいけませんね。

超・長文の記事にお付き合い頂きありがとうございました。書いたワタシも5000m走ったあとみたいに疲れました(^^;)

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ということでいつもの通り「ひっち俳句の細道」流ダジャレ川柳を一句。(モモ:もう疲れたよおー)

   織田陸上 ひとつ言うなら なんも言UNA (モモ:何のこと?倒置法?)

解説:この素晴らしい競技の場で、みんな「ひとつ」になってる時に、余計なダジャレなんか言うな。

モモ:自分でよく分かってんじゃん・・・・・

<言UNA・・・>

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<オマケ・走り高跳びの記録>

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oda2.jpg(モモ:イシンバエワ?これが織田陸上の落ちかいっ!)


城島 日本酒 酒蔵びらき

国内で主だった日本酒の産地と言えば、京都の伏見、兵庫の灘、広島の西条、そして福岡(久留米)の城島と言われています。それ意外にもたくさんあるのですが、古い歴史を持った酒造りの発祥地ということになるでしょうか。

これらはいずれも酒造りに欠かせない良質な水と酒造りに適した米の産地になっています。

伏見の水は「伏見七ッ井」の伏流水、米は京都産「祝」、兵庫は灘五郷の「宮水」、米は播州平野の「山田錦」、西条は龍王山の伏流水、米は「八反錦」、そして城島は筑後川の伏流水、米は福岡産「夢一献」となります。

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城島を含む久留米市「三潴」(みずま)地区では、新酒の時期毎年2月11日に「酒蔵びらき」を開催しており、今年は18回目が賑やかに開催されたそうです。今年は事前に本場広島駅前にも乗り込んで、PRを行っていました。酒蔵開きは残念ながら行けなかったのですが、2月の末についでがあり念願かなって訪れることができました。

なぜ念願だったかというと、出張先の福岡県内のあるスーパーで売り出しをしているのが目に留まりました。精米歩合70%ながら720ml瓶純米酒がなんと680円でした。こんなに安いけれども・・・ものは試しと1本買って飲んでみると、これが意外にもおいしい!清冽ではないけどもやさしくしっとりした感じ。いわゆる「女酒」でした。体調にもぴったりくる感じであっという間に7割空けてしまいました。閉店間際のスーパーにまた駆け込んでもう1本はお土産にすることにしました。このお酒が城島で造られた「比翼鶴」(ひよくつる)でした。

*女酒というのは軟水(ミネラルが少ない)で作られる酒で、やわらかく芳醇な味。男酒は硬水で作られる、発酵が進みやすく淡麗辛口の酒のことです。

城島地区は久留米市中心部からは車で10分程度、九州道は広川や八女インターからは15分程度です。今回は長崎道の東背振(ひがしせふり)インターから下ることにしました。

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このすぐ近くには弥生時代の「吉野ヶ里遺跡」公園が整備されています。こちらからだと多少距離はあるのですが、道路が空いているために15分もかからず到着できます。

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国道385号をまっすぐ南下し、大野北信号を左折すると、筑後川にかかる六五郎橋を渡ります。

ほど近くにある城島の中心部、「城島中町」の信号を左折します。 

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北西方向に進むと山の井川のたもとに看板が目立ちます。

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 オブジェのある橋の上からも遠くの河畔に煙突を望むことができました。

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山の井川は筑後川の支流で、すぐこの先は合流部となります。雪解けシーズンなのか小さな川ながら満々と水を湛えていました。比翼鶴酒造はその山の井川のほとりにありました。

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敷地の中に入ってやっと事務所を見つけ出しました。

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「あのー、趣味で見学に伺ったんですが、見せてもらうことはできますか?」といったらお母さんと事務員さんらしき方が、「ちょっと待って下さいね・・・」と言って電話をかけています。「今常務が案内に参りますので」。

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数分すると白づくめのいでたちで二ノ宮常務が来られました。「済みませんねえ、お忙しい時に・・・」。「いいですよ、早速参りましょう」ということで気軽に案内してくれました。

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「ここが浄水場です。地下200mから伏流水をくみ上げているんです。そのままでも綺麗なんですが、さらに酸化鉄などを合成ろ過しているんです」。

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それから「醸造蔵」に丁寧に手を殺菌剤で洗浄してから入りました。

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最初に目にしたのは「浸積」(しんせき)器です。これは白米を水に浸し吸水させる装置だそうです。

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その次に「蒸米」器です。これは100℃の蒸気でお米を蒸すのだそうです。

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蒸し上がった米は「放冷」器で冷却するのだそうです。2本の大きな管に外向きのファンが稼働し、室内外気を外に排気する形で冷ますそうです。日本酒造りで重要と言われる寒冷な気温ですが、ここでは5℃から8℃くらいでの処理を目指しているそうです。

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その後で発酵中の麹を食べさせて頂きました。えも言われぬ香ばしい香り、甘酸っぱくて懐かしーい味。これをお酒にしたらまずいはずないじゃんと思わせました。麹を食べるとお酒の有難みが倍増するような気がします。

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そして「仕込み」となります。大きなタンクごとに仕込むわけですが、時期や温度、米や麹の出来具合によって微妙に変化するのだそうです。

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タンクの周りに黒い帯が巻かれていましたが、これは「温度調節ベルト」で、発酵して温度が上昇し中で対流を起こしやすくし、均質化をはかるためのものだそうです。

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タンクの中を覗かせてもらいましたが、確かに白濁液のもの、大きな泡が山状に盛り上がったものなどいろいろでした。

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もろみの発酵が十分進んだらいよいよ「搾り」となります。肥料袋かアコーディオンのような薄い形状の袋にもろみを流し込んでいき、側面から圧搾機で圧縮していきます。そうすると搾られた原酒が滴となって迸り落ちてくるという仕組みです。

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搾った原酒はそのまま「生酒」などとして市場に出るもの以外は、基本的には「火入れ」をするのだそうです。これをしないと発酵がますます進んでいわゆる「腐造」となってしまうため、乳酸菌を消滅するのです。

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上部から伸びた管から熱を放射して処理をするのだそうです。

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2階に上がると「研究室」がありました。毎日できた酒の性質や具合を細かなデータとして保存し、いいお酒づくりの研究を不断にやっておられるそうです。

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ふと見上げると天井の隅におわすは「松尾様」です。これはお酒の神様であり京都の神社の神様だそうです。酒質の分析という科学的な手法と、いいお酒ができますように頑張りますので見ていて下さい、という情緒的な手法が同居していて面白いなあと思いました。

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すぐ隣には酵母室があり酵母が眠っていました。文字通り毛布か布団のような布にくるまれて寝かされていました。

 この間40分程度でしたが、二ノ宮常務には細かく丁寧に説明して下さり有りがたかったです。お陰ではじめて酒造りの一端をリアルに垣間見ることができました。

事務所に戻り、感謝の意味も込めてお酒を買って帰ることにしました。

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精米歩合55%の純米酒「耶馬寒梅」とお勧めだった本醸造「超辛口」、720mlを2本2200円で頂きました。写真撮影もブログアップも許可を頂き、丁寧にお礼を述べ蔵を後にしました。

折角なので「城島中町」信号まで戻り、すぐ南にある「花の露」酒造さんにも伺いました。ここは城島では最も歴史があり1745年から270年ほども営んでおられます。特に純米酒では常に入賞、大賞も受賞するなど定評のある蔵です。

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広い庭の周りには大きな蔵が並んでいます。道を隔てた反対側にもなまこ壁の蔵や貯蔵庫が林立しています。

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ここでは蔵の見学はしませんでしたが、評判の「花の露 純米」精米歩合60%、1300円を買って帰りました。

お酒の味についてですが、それぞれ個性や人の趣味があるので表現しにくいところですが、「耶馬寒梅」はまろやかでまとわりつくような味わいでした。「超辛口」は思ったほど辛くなくバランスがとれた味。食中酒としては秀逸でいくらでもすんなり飲めてしまいます。「花の露」はすっきりとして飲みやすく吟醸香のある味でした。確かに花のような明るさ華やかさを感じました。

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帰り際に北東方向にあった「優良地酒取扱処」の「竹屋」さんへお邪魔しました。そうしたら女将さんが思いを込めてこうおっしゃってくれました。「昔は城島には20軒も造り酒屋があったんですよ。それが今では4軒になってしまった。でもね若い人や2代目さんたちが頑張って、組合や研究会をやって盛り返そうと努力しているんです。うちの息子もそんな心意気を感じて、わざわざこんな田舎に酒屋をオープンし、そうした人たちを応援しようと頑張っているところです。」

かつて全国では3000以上もの酒蔵がありました。それが今や半減し日本の酒づくりは危機に瀕しています。これは酒づくりの危機ではなく、日本の文化、食文化、雇用問題、地域経済の危機です。大きく言えば地方の疲弊は日本の疲弊だと言えます。そんな中で新しい技術、新しい酒や酒文化を研究し、地域を盛り上げていこうとする人たちが確実に存在することを実感しました。こうした産業が、地域が、人達が存在できてこそ、笑いあえてこそ、日本が存在していける、幸福につながるそんな気がしました。

ここで「もみじの細道」流ダジャレ川柳を一句。(モモ:やらなくていーよ)

   城島の 心は常時 まつりだよ (モモ:シツレイだろ!)

解説(モモ:だいたい察しはつくなあ):長年酒造りをしてきた城島の人達の、酒造りと地域づくりへの思いは、いつも酒蔵びらきと同じ祭りの心意気だよ!


筑前 大刀洗 平和記念館

筑前町は筑後平野の北東部に位置し、その南部を筑後川がゆったり流れる人口3万人の地方小都市です。「筑前煮」にその名を冠していますが、これは北部九州を中心とした郷土料理で、地元では「がめ煮」と呼ばれています。「がめる」とは方言で寄せ集める意味で、レンコン・ゴボウ・にんじん・鶏肉などを煮込んだ料理として有名です。また昔は鶏肉でなくスッポンを加えたことから「かめ煮」が語源となったとも言われています。

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福岡からは九州道、鳥栖ジャンクションから大分道に入り、筑後小郡(おごうり)インターと甘木(あまぎ)インターの中間に、その「筑前町立大刀洗平和記念館」はあります。福岡方面からは甘木鉄道で大刀洗駅のすぐ近くです。「大刀洗」(たちあらい)の地名ですが、日本三大合戦のひとつ「筑後川の戦い」に由来します。南北朝時代1359年に菊地武光ら南朝方の軍勢4万が北朝方の少弐頼尚の軍勢6万を打ち破ったこの戦いで、刀を洗った川として名づけられたと伝わる「大刀洗川」から来ています。

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大刀洗駅前の信号から駐車場に入るとすぐ筑前町立「大刀洗平和記念館」があります。カマボコ型の建物はいわゆる「格納庫」をイメージした外観です。開館は9時から17時、入館料は大人500円、休館日は年末年始のみのようです。

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かつてこの地には東洋一を誇った日本陸軍の大飛行場がありました。大正8年1919年から昭和20年1945年まで、満州事変やシナ事変から太平洋戦争終結まで軍事空港として重用され、太平洋戦争末期には特攻「さくら弾機」の出撃基地ともなりました。その後特攻は薩摩半島の知覧(ちらん)に、東亜への出撃の中心を移すことになります。そしてついに1945年3月27日にアメリカ軍のB-29大爆撃編隊に1000発近くの爆撃を受けて壊滅するに至ります。

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記念館にはそうした隆盛から破滅までの道程が、詳しい説明や豊富な資料で展示されています。1階で目を引くのが「零式艦上戦闘機Y2-128」です。この型としては世界で唯一残存するゼロ戦です。

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搭乗者は海軍航空隊長柳村義種と言われています。これはマーシャル群島のタロア島のジャングルで発見され、1983年に40年振りにやっと米国から引き渡されたものです。これらゼロ戦の写真はこの記念館で唯一撮影が許可されている展示物です。

また邀撃機(ようげきき)も1機展示されています。これも世界で唯一残存する「九七式戦闘機」で、「屠龍」と呼ばれています。博多湾の水深3mから引き上げられ、渡辺利慶陸軍少尉が不時着したものです。

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この両機の上方を覆うように天井に、B-29のフレーム製のオブジェが展示されています。大きさは両機の4倍ほどの大きなもので、対比が実感できるようになっています。

胸を打つのは特攻で旅立つ若い兵士達のたくさんの「遺書」や「手紙」、「遺品」です。家族や愛する人に「明日は失う自分の命」を前に、どのような心境で自筆をしたためることができたでしょうか。

中央部の「追憶の部屋」では定時に20分でシアター映像を見ることができます。おばあちゃんと孫の男児の語り合いという設定で、大刀洗やこの地域の変遷、3月27日の大空襲の様子などをムービーやアニメ仕立てで印象深く伝えてくれます。当時近くにあった立石国民学校からの下校時間に、B-29の爆撃編隊が大分方面から筑後川に沿って来襲し、子供達が非難した「屯田の森」を直撃し、32名の幼い命が一瞬で奪われた事実があったことなどを教えてくれます。

爆撃というものは上空45度の敵機からまっすぐに投下された場合、確実に自分のいる場所に命中するのだそうです。

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2009年10月3日にこの大刀洗平和記念館は建立されました。館員の皆さんの応対はとても丁寧で親切な印象を受けました。色々説明して下さるし、上映時間にも声をかけて下さる。意見や要望を訪ねて下さる、そうした姿勢がすばらしいと思いました。何でも開館以来2年強でまだ来館者が40万人なんですよ、と恥ずかしそうにおっしゃっていました。広島の平和公園や原爆ドームのように、もっともっと多くの人に知ってもらって訪れて頂きたいのですと。

筑前町は「非核恒久平和都市宣言」を謳っています。この記念館は平和の有難さ、大切さを次代に語り継ぐための情報発信基地として、その役割と期待は大きいものを感じました。

重い空気を感じさせられましたので、いつもやってる「ひっち俳句の細道」流川柳を止めました。

悪しからず、今後にご期待下さい。m--m

    

 


田川市 石炭・歴史博物館 山本作兵衛コレクション展

福岡県は田川市にある「田川市石炭・歴史博物館」に行ってきました。ここで行われている「山本作兵衛コレクション展」が、2011年9月17日から開催されていたからです。この企画展は2012年1月で終了する予定だったのですが、好評を受け3月11日まで延長されています。hakubutsu.jpg

 

山本作兵衛は水彩画や水墨画の手法で、リアルな炭鉱現場や炭鉱生活を、697点の作品として後世のために残しています。それが2011年5月に日本で初めてユネスコ世界記憶遺産に登録されました。彼自身が炭鉱労働者であり、作品には現場労働者でないと知りえない、細かな描写や事実に根ざした臨場感が表現されていると言われます。

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その筆致は大変達者で力強く、わかりやすい説明書きなどが細かく付され、見るものを圧倒します。還暦を迎えての作画活動は、自身の魂と誇りと後世への愛情にあふれた遺産として大変価値の高いものだと感じました。入館料は一般210円、学生などは半額以下の安い料金で堪能することができます。

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筑豊地方はかつて日本有数の炭鉱地帯でした。この三井田川鉱業所跡地をはじめとして、筑豊の豊富な石炭資源によるエネルギーが、明治・大正・昭和の産業や経済の発展に大きく寄与してきましたが、現在はエネルギー革命によって他の様々な手段にとって変わられました。しかし今東日本大震災を契機として、原子力発電から自然エネルギーへ見直される中、まだまだ豊富な火力発電資源として、その採掘方法や活用方法が見直される可能性もはらんでいます。

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1983年に建てられたこの石炭・歴史博物館の中の展示では、石炭の実物や作業機械などが豊富に展示されていました。削岩機やベルトコンベアーの模型などもあります。ishi.jpg

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ジオラマ模型の「手掘採炭」をする夫婦の像があります。夫はふんどし姿で這いつくばって坑道の先端を手掘りしています。妻は上半身裸で石炭を背負って運んでいます。展示館の中の照明により坑道も明るく見えるのですが、実際には相当暗い中でランプの灯りを頼りに、狭い坑道を這うように不安な作業をしていた時代が長かったようです。

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これを見ていると、南米チリで起こった落盤事故が思い起こされます。彼の事故では人命が奇跡的に救助されましたが、かつては日本の各地の炭鉱で爆発事故、落盤事故、ガスや湧水事故で大変多くの尊い命が犠牲になってきました。

そういった背景もあり展示には労働組合の結成や活動についての展示もありました。厳しい自然条件との戦いだけではなく、労働条件や待遇など人権をめぐる闘いもあったということです。

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中には当時の写真も掲載されています。「ヤマ」の坑道には女性労働者も多く、夫婦や兄妹で採炭採掘作業をする例も多かったようです。女性が半身裸で作業をする写真、混浴で入浴する写真、すすけながら笑顔での集合写真など、深く胸を打つような記録です。

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一方屋外にも大規模な展示があります。目を引くのが「伊田竪坑櫓」の赤い鉄塔です。これは坑道へのケージを上下させるため実際に使用されていたものです。

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2本の大きな煙突は、「炭坑節」にも歌われた「あんまり♪エントツが高いので♪」、45mの威容です。

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蒸気機関車やトロッコ、ロードヘッダーと呼ばれる運搬車なども展示されています。古ぼけた木造の平屋は「産業ふれあい館」であり、大正から昭和のころの「炭鉱住宅」の実物模型です。炭鉱生活の質素な暮らしを彷彿とさせます。

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しかし庭園に建立されている「炭鉱夫之像」は、力強く遠くを見据えたように堂々と立っています。きびしくつらい炭鉱生活を支えたのは、未来への強く明るい希望があったからだと想像させられます。どんな逆境にあっても前向きに生きて歴史を築いてきたのが先人であり、我々の祖先だったのでしょう。

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そして庭園の隅には歌人「種田山頭火」の石碑が刻まれていました。

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   廃坑 若葉してゐるは アカシヤ

山頭火の歌は直感的でわかりやすいものが多いですが、これはどう解釈しましょうかねえ。

石碑の中央では、ネコも首をかしげていました。


音戸町 平清盛 日招き

1月8日からNHk大河ドラマの平清盛が始まるとのことで、前日に呉市音戸町に行ってきました。

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音戸とは響きのいい地名ですが元の意味は、隠渡(海賊が隠れる)・音渡(房顕覚書)・御塔(清盛塚のこと)・追門(急流迫る所)など諸説あるようです。海峡である音戸の瀬戸には象徴的な赤塗りの音戸大橋が掛かっています。これは宮島の厳島神社の朱塗りにあやかったようです。呉市警固屋(けごや)地区と向かいの倉橋島を結ぶアーチ型らせん式高架橋で、千トン級の船舶が航行できるように桁下は24mあります。音戸町は平清盛ゆかりの地で、「音戸の瀬戸」、「清盛塚」、「日招像」、「日招岩」などが有名です。

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「音戸の瀬戸」は平清盛が元は陸続だったところを開削して運河としたことで有名です。出世した清盛が安芸の守へと命ぜられ、海賊も平定して瀬戸内海の海運を制覇したときに、宋(中国)との交易や海上往来、宮島に建立した平家一門の厳島神社への往来などの目的で行った大土木工事だと伝えられています。工事は1164年10月から1165年7月までの約10ヶ月間をかけて行われました。近代には運輸省によって昭和26年(1951年)から33年まで7年間をかけて工事を行い、幅30mだったものを60mに、水深も15mまで拡張を行ったそうです。

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「清盛塚」は清盛が音戸の瀬戸開削工事にあたり、通例の「人柱」ではなく経を書いた石を海底に沈め完成を祈ったと言われる場所に建てられました。工事完成の20年後、1184年にその功績を称えて建立したものです。石積みの方形で周長49m、高さ5,5m、中央には2mの印塔が立っています。

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「日招像」は呉市警固屋側の高台、高鳥台(たかがらすだい)にあります。音戸大橋のすぐたもとのパーキングエリア、音戸の瀬戸公園そばを山上へ1km強上ったところです。音戸の瀬戸公園はサクラとツツジの名所として知られており、5年に1度開催されている「清盛祭」(今年は4月22日)とともに、大いに賑わうことになりそうです。清盛祭やおんど文化会館「うずしお」についてはグルメサイトに掲載しました。http://hosomichi.blog.so-net.ne.jp/

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高鳥台からの周囲の眺めはすばらしく、音戸の瀬戸はもちろん、呉市から遠く広島湾も望めます。

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日招(ひまねき)と呼ばれる所以は、開削工事があとわずかで完成という時に陽が沈みかけたため、清盛が右手の金扇をかざして「返せ、返せ」と叫んで陽を戻らせ工事を完成したという伝説によるものです。その場所というのが日招岩です。

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近くにある日招岩まで下ってみると、確かに清盛が仰いだ天の西日も、工事中だったであろう音戸の瀬戸も正面に見渡すことができました。

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この日招岩には両足と杖といわれる跡が彫られて残されています。中央の葉っぱの両側が足跡です。少し開き気味で右足が前に出ています。

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平安時代末期白河法皇の実子に扱われず、下賎な階級であった武士から貴族(朝廷)の太政大臣に登り詰め、武士階級が実権を握る次代へといざなった革命児、平清盛はここで遠くを見つめ何を思ったでしょうか?

ここで「ひっち俳句の細道」流のだじゃれ俳句を言う気分ではなくなったので(ほっと安心)止めにします。その代わりに立派な漢詩を紹介しましょう。

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音戸の瀬戸を目前に望むおんど観光文化会館「うずしお」の2階には、江戸後期の儒学者で漢詩人だった「頼山陽」がここで舟泊した時の詩が左に掲げられています。右の同じく漢詩人の梁川星厳(やながわせいがん)は詩の中で次のように称えています。

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「平清盛が開削して連山が中断され瀬戸が通じた。これはかの兎王や陽帝が行った大工事に劣るものではない。夕暮れの潮流音はまるで万馬が駆ける響きだ。平公の清盛塚には月が弓のようにかかっている。」

表の歴史では評価の良くない清盛ですが、地元にも後人にも賞賛されてきた真髄は何なのでしょうか。

 


松山 道後温泉 正岡子規

11月の終わりに四国は愛媛県の松山市にある道後温泉に行きました。寒くなったらやっぱ温泉だよね~と思いながらも、残念ながら時間がなかったので見学だけとなりました。道後温泉は松山市内の中心部に程近い、山手に沿った丘陵部に位置します。
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道後温泉本館の全景が見えてきました。古く歴史のある重厚な木造建築で、威風堂々の佇まいといったところでしょうか。
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横から見ると、ははーっこれは「千と千尋の神隠し」に出てきた温泉宿のモデルだな~と思わせる構造とデザインです。
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正面はガイドブックなどでお馴染みの館内入り口となっています。
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入浴案内板が掲げてあり、温泉も建物の階層と同じく三層にあるようで、それぞれ料金が異なっています。400円から1500円くらい、入浴時間はおおむね1時間、営業時間は6時から22時ころまでです。
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中を見るとたくさんの湯治客やら観光客やらが出入りしています。下駄箱がたくさん並んでおり、番台のようなところでは「湯券」の確認があるようです。
全国に温泉場は山とあるでしょうが、屋内共同浴場として現在も人々に開放され、これほどまでに多くの人が訪れる、古く歴史ある巨大な木造建築施設は類を見ないのではと、思わず圧倒させられました。

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この温泉の東側近くには俳人として有名な正岡子規記念館があります。
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前庭には子規の俳句が刻まれた石碑が建っています。
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中には道後を訪れた小林一茶の句碑もあります。
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記念館に入ってみると子規の銅像があります。その容姿は世の中を笑っているような楽しんでいるような儚んでいるような不思議な姿です。そう見えるのは見る人の今の心を表しているということかも知れません。
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また一般の市民から募集した句集が壁やらボード類にたくさん掲示されています。時間がないととても読んだり味わったりし切れない膨大な数です。これだけ多くの人々の生き方や思いが凝縮した場所であることを考えると、ここは「人生の甲子園」だと言えるかも知れません。

ここで「ひっち俳句の細道」流に俳句を詠んでみます。つまりダジャレ流ですぞ。
   人生をはやくいくなよヒッチハイク
受験勉強も習い事も、いい会社もいい役職も、それのみを目指して先を争っても、結局死が待っているだけ。人間として価値あること、大事にすべきものを見つめて、ゆっくりでいいからヒッチハイクで行こうよ。

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